忙しけりゃいいってもんじゃない

放談
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「コツコツ投資して、念願のFIRE達成してはみたものの、暇すぎます。」だとか、「生きがいや適度なストレスがあったほうが長生きするらしいよ。」みたいな。FIRE後の生活はどんな感じなのかを探ると、耳にする言葉です。

脱サラ企業家が後悔した時の「仕事は辞めない方がいいよ。仕事を与えてもらえるのって幸せなことなんだよ。」って話も耳タコです。

参ったなぁ、違うんだよなぁ。

私がFIREにあこがれるのって、仕事をしたくないからではなくて、労働者というゾーンから抜け出して、経営者・資本家のゾーンで生きていきたいからなんですよ。

だから、FIREしてずっとだらだら何もしないで過ごしたり、好きな趣味をずっとやり続けたりすることはありません。趣味だったり部屋でゴロゴロすることが飽きる事は百も承知です。

つい最近も「FIREした後って暇だし、何にもやることがないとつまらないから仕事を続けてる」みたいな話をしている先輩がいました。いちいち反論はしませんでしたが、「違うんだよなぁ、分かってないなぁ」と心の中で呟いてました。

私が悩んでいるのは、FIREした後、どの分野で起業して経営していこうかって部分なんです。

社会的に意義のある会社を設立したいですし、もちろん長く続けていきたいと思うので、流行り廃りの激しくないジャンルがいいと思っています。で、それって何?ってところで思い悩むんです。

サラリーマン生活が長いと、野心や野望が失われてしまうのでしょうか。子育てや家のローン返済に追われて夢を諦めてしまうのでしょうか。

大企業のサラリーマンだって一生安泰ではなくなった現代でも、まだまだ保守的な考えを持つ人が多いみたいです。これって日本人の特徴だって言う人もいますけど、昔の日本人の中には、世界に渡って見分を広げた人だったり、借金を背負いながら事業を起こして何度も挑戦した人はいるわけで、結局は人の考え方の問題だったりもするわけです。もちろん、地理的な要因で島国で閉鎖的な時代が長かったことで、同じ民族同士、同じ村の中で横の目を気にして行動する文化がはぐくまれたことは否定しませんけどね。

とはいえ、時代はとっくに変わってグローバル化が進んでいるにも関わらず、保守的な考えがはびこっているのはなぜなんだ?親や先生の影響?勤労の義務や納税の義務を強く心に植え付けた教育?そうなってくるとね、教育を見直すタイミングかもしれませんよ。世界に取り残されつつある現実を直視して、少しだけ焦らないと。

勉強して、いい学校を出て、名の知れた企業で働いて、バリバリ働いて出世して、お金を貯めて老後をゆっくり過ごす、これって本当に幸せなんですか?

人生は忙しけりゃいいってもんじゃない。考える時間を奪われて一日の大半を労働に費やしているうちに考えようとすらしなくなってしまうのですから。もうね、自分の会社の上司や先輩と話しをすると、思考停止した人の多いことに驚かされます。視野が狭いのに気づかずに自分の価値観に固執して、自分のできる範囲のことだけこなして自己満足しているだけならまだしも、その古くて頭の固い価値観を他人に押し付けてくる大人って格好いいですか?

ゆっくりと立ち止まって自分の人生を見つめなおして、やりたいことを素直にやる。とことんやる。飽きるまでやって、飽きたらまた自分の興味が沸くまで立ち止まって休む。失敗したっていい。多くのことに挑戦して学んで経験を積んだ大人の方がいいよね、思考停止して漫然と生きている大人よりいいよねって言える社会でないと、日本はおいて行かれるよ。マジで。

だから私はFIREをして、趣味でいろんなことに挑戦して生きていきたいと思うんです。みんなが好きなことやっていれば、そのうちイノベーションも起こるでしょ。会社で労働者として思考停止に追い込まれたんじゃ報われませんよ。仕事が充実するのはいいんですけど、ただ忙しければいいってもんじゃないんです。心にゆとりがあって、余裕があってこそ、多様な価値観を受け入れられるのかもしれません。だからFIREを目指すべきなんです。早いこと経済的な自立を手に入れないことには、古い価値観やしがらみからリタイアすることすらできないのですから。

生き方はひとつじゃないですから。知り合いが「FIREするよ!」って言ってきたら、素直に応援できますか?嫉妬心でやめた方がいいよなんて人の生き方にケチをつけようとしてませんか?私は笑顔で送り出してあげられる自分でいたいです。たとえその時、私が会社の経営者で、社員が「FIREします!」といったとしても、ね。

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