「労働」とは人生における「暇つぶし」だと思ってみたりして

仕事
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居酒屋で数名で盛り上がる中で、「我々は何の為に働いているのか」ということで少しだけ白熱した議論になりました。

各々が自論を展開していきます。

「働くのは生きるため、生活のためだ」、「自分探しのためだ」、などなど。

好き勝手言ってらぁと、心の中で思いながらも、一応うなずきながら聞いたフリをしていました。

すると、

「ところで、マッタさんは何のために働いているんですか?」と、不意打ちが襲いました。

そして、こう答えました。

「暇つぶしのため、ですかねぇ。」と。

一瞬、間が合ったので、やばい!と思って、立て続けに答えます。

「今現在、働かなくてもいいくらいにお金があるって訳じゃないですよ。でも一生食っていけるだけの余裕があったとしてもきっと働くだろうから、労働は暇つぶしだって考えているのかもしれません。」と。

浮世離れした金持ちなんじゃないか?と変な視線を感じたので、早めに訂正しておいたというわけです。

「暇つぶしで働いている」と言うと、「手抜きしているに違いない、やる気がない人なのだろう」と邪推されてしまうんでしょうが、そんなことはないんです。

そもそも、お金をもらって生活する為に働くっていうのは、私にとっては当たり前の話であって、そんな当たり前の部分を削ぎ落していった時に残ったのが、「暇つぶしのため」であったのです。

実際、私の場合は働かないと暇だと思いますし、何かしら社会と接点は持とうとすると思います。

ここで「働く」の定義があいまいだと誤解が生じてしまうので説明しますが、私にとって「働く」というのは、「人の役に立つと思える行動をすること」なのです。

一生お金に困らないだけの財産があれば、無償で奉仕活動をするでしょうね、きっと。

今は自分の生活だったり老後に向けた貯金であったりで、お金を必要としているので、「生活のために働く」に近い状態ではあるのですけれど、本質は「暇つぶしのため」なのです。

人様のお役に立つ事ができて、対価がもらえれば感謝しますし、対価がもらえなくても自分が満足できればそれでいい。

私が「働く」ことの意味を考えると、この考えに行き着きます。

だから暇さえあれば、「人のため、社会のために役立つことって何だろうか」と、漫然と考えたりするのです。

と、格好の良い自論を述べましたが、結局のところは衣食住と少しばかりの贅沢と虚栄心を満たすために働いているという、さらに奥の本質を見透かされてしまったのか、数人の飲み仲間達の反応はあっけないものでした。

「へぇ~、暇つぶしねぇ、格好良いじゃないの」「私もそんな風に言ってみたいですよ」などの反応です。

常に余裕派でありたいという私の恥部をさらしてしまったという話でもあります。

さて、「あなたは何のために働いているんですか?」

どう答えます?

最後までお付き合いいただき有難うございます。

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