東南アジアを旅行していると、その土地の気候、人柄、文化が私の体内に染み込んできて、日本に帰るのが嫌になることがあります。
「現実世界が厳しいから、旅行中の解放感が特別に感じられるだけ」っていう人もいますけどね。
それだけじゃない気がするんです。
かつて日本が活気に溢れていた時代は、生活がよくなっていくという実感があって、人々の心に希望が溢れていました。
「今は貧しくても、いつかきっと豊かになれる」っていう、レールが見えていたといえば分かり易いでしょうか。
東南アジアを歩いていると、そんな希望を感じる場面が多くあります。
「なんとかなるさ、そのうち暮らしもよくなるさ」的な雰囲気を感じさせてくれます。
長い時間この感覚に触れていると、自分もまわりの雰囲気に触発されてきて、「生きていて楽しい!」っていう変なテンションになることがあるんです。
ところが、日本に帰国して生活していると、残念ながらそうした雰囲気が感じられません。
一言でいえば、閉塞感。
この違いは何なのでしょうね。
「老いてゆく国」と「まだまだ若い国」の違い?
日々の暮らしやすさでいえば、圧倒的に日本なんですけど、なにか満たされない。
そんな風に感じた事ってありませんか?
要するに、「利便性が高い=満足度が高い」という図式は、ある程度までは成り立つんですけれど、「将来への期待値」が高くなければ、「閉塞感」が生まれてきてしまうのです。
日本は「将来への期待値が低い=閉塞感のある生活」という式が成り立ちます。
反対に、東南アジアは「将来への期待値が高い=希望に満ちた生活」という式になります。
思考が整理されたことで、すっきりはしました。では、日本で生活する私たちがこの閉塞感から抜け出すために、どうしたらよいのか。
人口の減少は止められませんし、国全体が縮小していく現実はどうにもできませんので、もっと視野を狭めて考えてみてはどうでしょう。
漫然とした不安にかられるばかりでは面白くもなければ楽しくもありません。
将来のことを考えずに、今興味のあることを、とことんやってみてはいかがでしょうか。
特に若い人は将来に対する悲壮感や絶望感が強いと思いますので、ひとまず不安な事(=将来の事)を考えない時間を作ることが大切なんじゃないかなって思うのです。
今やりたい事を今やることで、エネルギーがチャージされて、自然と明日への活力が湧いてくれば上出来です。
結局、ひとりひとりが個々に明日への希望を持つ事で、全体を押し上げていくってことになりますかね。
将来を考えないっていうのは、結構大変ですけど。
日本は、何にも考えなくても自然と希望が開ける国でなくなった以上、ある程度は覚悟して自分の好きな事をやって紛らわして暮らしていけば、幸福度はそこそこ維持できそうです。
底抜けに明るさを持った東南アジアには及びませんけど、今の所は日本で暮らした方が便利なので、まあいいってことよ!
今の所は、ね。
最後までお付き合いいただき有難うございます。