ある人に過去にひどく侮辱され、人間性を否定され、とにかく何度も落ち込んだことがあります。
嫌いな嫌いな「ある人」と数年ぶりに再会する機会がありました。
かれこれ数年の月日が経っていますし、「今ならあの人の事を受け入れられるかもしれない」と、思い切って声を掛け、お誘いしてみました。
正直に申し上げますと、今でも過去の苦しみを忘れたことはありませんし、憎くて憎くて、悔しくて悔しくて仕方がありません。
復讐できる機会があるならば、真っ先に復讐をするでしょう。
そんな気持ちの一方で、「いつまでも恨んでいても仕方がない」という気持ちが勝ったため、今回私からお誘いしたのです。
もしかしたら、憎たらしい相手を許せるくらいに私は成長しているかもしれない。なんて、淡い期待も胸に。。
久々に話した、憎たらしい人。
相変わらずの口ぶり、横柄な態度。
昔話を交えながら、その宴席は平穏に終幕しました。
憎たらしい人は、「懐かしいなぁ。」と、昔話を美化して平然と言ってきました。
私は、過去のことを思い出して、思わず言い返すところでした。「よくそんな事が言えたもんだな。」と。
しかし、その人には罪の認識がないのでしょう。
やられた方は覚えているものなんです。
過去のトラウマに向き合うために誘った、憎らしい人を誘ってみたら、何か変わるかもしれないと思った自分。
嫌いな相手が何ひとつ変わっていなかったことだけが救いでした。
「あの時はごめんよ」などと言われようものなら、「ふざけるな!」と言い返してしまうところでしたから。
今回、トラウマの原因ともいえる憎たらしい人と会ってみて分かったことがあります。
過去に侮辱された事実は消えない、でも仕返しする労力と恨み続ける時間を考えたら、割に合わない。
「バカでかわいそうな人と同じ土俵で戦ってしまったら、自分がみじめになるだけだ」ということが想像できました。
「こんな人を恨んでいても仕方ない。くだらない人だということが分かっただけで、十分だ。もう二度と関わる事はないだろうな。」と、思いながら嫌いな人と別れました。
その場でやり返したとしても、すっきりした感情なんてものは一時だけで、今度は恨みからの報復を恐れる事になるでしょう。
「争いからは争いしか生まない」って、どこかの偉い人みたいに悟ったような錯覚を覚えます。
その場でやり返さなかった自分、過去を蒸し返さなかった自分が、なんだか少しだけ偉く思えて、自画自賛ながら「成長したな~、私。」って素直に思えました。
きっと強くなれたんだと思います。
まだ憎たらしいですけど、今の自分を肯定できているから、少しだけ相手を許すことができたのかもしれません。
嫌いな人は嫌いなままでいい。でもその人に嫌われるような振る舞いをしてはいけない。
私の美学といいますか、生き方といいますか。。
自分がやられて嫌なことを相手に仕返ししたのでは、所詮同じレベルだってことなのかな。
嫌いな人を許せていないんですけど、その場を和やかに過ごせた私は、嫌いな人に勝ったと思えたんです。
不思議なものです。
人の過ちを許せる領域までは程遠いです。人生の修行はまだまだ続きそうです。
最後までお付き合いいただき有難うございます。