労働者の権利と、資本家の言い分

放談
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ふわふわした1日でした。たいして忙しくもなく、成果をあげるわけでもなく、ただ時間だけをつぶした労働者がいます。

たまにはこんな平穏な日があってもよいと労働者はつぶやきます。

何も成果もあげなくてもきちんと報酬はいただきますよ。労働者として人生の貴重な1日を捧げたのですからと主張します。

資本家は言います。余裕があるならもっと、業務を増やそう、これもやっといて。もっとできるだろうと。

会社の居心地がよいと、ついついしがみつく生き方を選びがちで、無理して頑張ってしまいます。すると労働者は言います。たくさん成果を出したのだからもっと報酬をくれと。

けれども、資本家は、報酬を上げようとはしません。今まで余裕があったことがおかしいのであって、これぐらい働くことはフツーだよと言います。

労働者は忙しくなったのにいままで通りの報酬であることに納得がいかないので、ついに会社から去っていくのでした。こんなのはフツーじゃないよと。

資本家は急いで次の人材を探します。仕事量は増やしたまま、報酬は据え置いたままでも働いてくれる人を探します。

ここまではよくある話です。

この時にすぐに次の人材が集められるかどうか。景気に左右される問題です。

労働力と資本との需給バランスが決め手となります。

会社を去った労働者はすぐに次の雇用先をみつけることができたのでしょうか。

労働者のスキルであったり、会社のネームバリューであったり。再就職する側も再雇用する側にもさまざまな要因が関与してきますので、あくまで一般論として、平均的な市場で考えます。

そんな妄想をしていたときに、ふと、「景気ってなんだ?」と雲をつかむような課題にぶち当たりました。

学校でなんとなく教わった「景気」について。多くの頭がいいと言われる学者があたかも正解をしっているかのように語られる「景気」という、ふうわふわした存在。

複雑怪奇で不確かな「景気」という気まぐれに人生を振り回される労働者と資本家たち。

嗚呼、資本主義って難しい。だから面白いのかも。ふわふわした1日の終わりに、好奇心が尽きない幸せをシェアします。

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